

はじめに
「自分が死んだら、全財産を妻に残したい」
「子どもたちは仲が良いから、遺言書で妻に全部渡せば安心だろう」
こうした想いを持つ高齢者の方は少なくありません。特に80代になると、自分の死後について真剣に考え始め、遺言書の作成を検討される方が増えてきます。
しかし、善意で作成した遺言書が、かえって家族間のトラブルを引き起こすケースが後を絶ちません。その最大の理由が「遺留分(いりゅうぶん)」という制度の存在です。
本記事では、相続遺言専門の司法書士として、全財産を1人に相続させる遺言書を作成する際の注意点、遺留分の仕組み、そして80代の親を持つ40代の子ども世代が今すぐ知っておくべき相続対策について、詳しく解説します。
全財産を1人に相続させる遺言書は作成可能なのか
結論から申し上げると、全財産を特定の1人に相続させる内容の遺言書を作成することは法的に可能です。
民法では、遺言者は自分の財産について自由に処分する権利を持っています。そのため「全財産を妻に相続させる」「全財産を長男に相続させる」といった内容の遺言書を作成すること自体に問題はありません。
特に子どものいない夫婦の場合、お互いに「すべての財産を配偶者に相続させる」という内容の遺言書を作成するケースは一般的です。
しかし、ここで注意しなければならないのが「遺留分」という制度です。遺言書で全財産を1人に相続させると記載しても、法律上、他の相続人に認められた「遺留分」を完全に奪うことはできません。
遺留分とは何か|相続人に保障された最低限の取り分
遺留分とは、被相続人(亡くなった人)の配偶者、子ども、親などの法定相続人に対して、法律上最低限保障されている遺産の取り分のことです。
この制度は、遺言によって特定の相続人だけに財産が集中し、他の相続人が全く遺産を受け取れない状況を防ぐために設けられています。
遺留分が認められている相続人は以下の通りです。
・配偶者
・子ども(直系卑属)
・親(直系尊属)
注意すべきは、被相続人の兄弟姉妹には遺留分が認められていないという点です。そのため、兄弟姉妹が相続人となる場合には、遺言書で全財産を特定の人に相続させても、遺留分侵害の問題は発生しません。
具体的な遺留分の割合を知る
遺留分の割合は、相続人の構成によって異なります。基本的な考え方は以下の通りです。
・相続人が配偶者と子どもの場合:全体の2分の1が遺留分の総額となり、それを法定相続分で分ける
・相続人が配偶者のみ、または子どものみの場合:全体の2分の1が遺留分
・相続人が親のみの場合:全体の3分の1が遺留分
具体例で見てみましょう。
【ケース1】配偶者と子ども1人が相続人の場合
遺産総額:4000万円
遺留分総額:2000万円(全体の2分の1)
配偶者の遺留分:1000万円(4分の1)
子どもの遺留分:1000万円(4分の1)
この場合、仮に「全財産を妻に相続させる」という遺言書があったとしても、子どもは配偶者に対して1000万円の金銭支払いを請求できます。
【ケース2】配偶者と子ども3人が相続人の場合
遺産総額:6000万円
遺留分総額:3000万円(全体の2分の1)
配偶者の遺留分:1500万円(4分の1)
子ども1人あたりの遺留分:500万円(12分の1)
この場合も、全財産を配偶者に相続させる遺言があれば、子ども3人は合計で1500万円の遺留分侵害額請求ができます。
遺留分侵害額請求とは何か
遺留分侵害額請求とは、遺言や生前贈与によって自分の遺留分が侵害された相続人が、財産を取得した人に対して、遺留分に相当する金銭の支払いを請求できる制度です。
以前は「遺留分減殺請求」という名称で、財産そのものを取り戻す権利でしたが、2019年の民法改正により「遺留分侵害額請求」となり、金銭での清算に変更されました。
この請求には時効があり、相続の開始と遺留分を侵害する贈与または遺贈があったことを知った時から1年以内、または相続開始から10年以内に行使しなければ消滅します。
遺留分侵害額請求が起きるとどうなるか
遺留分侵害額請求がなされると、財産を相続した人(多くの場合は配偶者)は、請求してきた相続人に対して金銭を支払わなければなりません。
ここで大きな問題となるのが、相続財産の大半が不動産である場合です。
たとえば、5000万円の自宅不動産と500万円の預貯金を配偶者が相続したとします。子ども2人がそれぞれ遺留分として約680万円ずつ請求してきた場合、合計1360万円を支払う必要がありますが、手元の現金は500万円しかありません。
この場合、配偶者は以下のいずれかの対応を迫られます。
・自己資金から不足分を支払う
・不動産を売却して現金化する
・金融機関から借入をする
高齢の配偶者にとって、住み慣れた自宅を売却したり、借入をしたりすることは大きな負担です。このような事態を避けるためには、事前の対策が不可欠です。
全財産を1人に相続させたい場合の対策方法
遺留分の問題を踏まえた上で、できるだけ被相続人の意思を実現し、かつ相続人間のトラブルを防ぐための対策をご紹介します。
生前に相続人と話し合いをする
最も基本的で重要な対策は、生前にしっかりと家族で話し合いをすることです。
「なぜ全財産を配偶者に残したいのか」
「配偶者の生活をどう守りたいのか」
「子どもたちの理解は得られているか」
こうした点を率直に話し合い、家族全員が納得した上で遺言書を作成すれば、遺留分侵害額請求がなされるリスクは大幅に下がります。
生命保険を活用する
生命保険の死亡保険金は、原則として遺留分の対象となりません(ただし、あまりに高額な場合は例外的に対象となることがあります)。
そのため、遺留分の支払い原資として、配偶者を受取人とする生命保険に加入しておくという方法があります。相続発生後、速やかに保険金が支払われるため、遺留分請求への対応がしやすくなります。
生前贈与を検討する
生前贈与も一つの選択肢です。ただし、相続開始前10年以内の生前贈与は遺留分の計算に含まれるため、早めに計画的に進める必要があります。
また、贈与税の基礎控除(年間110万円)を活用した暦年贈与や、配偶者控除(婚姻期間20年以上の配偶者への居住用不動産の贈与で最大2000万円まで控除)などの制度を組み合わせることで、税負担を抑えながら財産を移転できます。
遺留分の放棄をしてもらう
相続人が事前に家庭裁判所の許可を得て遺留分を放棄することも可能です。ただし、これには相続人本人の同意が必要であり、強制することはできません。
また、遺留分の放棄は生前に家庭裁判所での手続きが必要であり、相続開始後に放棄することはできない点に注意が必要です。
付言事項で想いを伝える
遺言書には法的効力のない「付言事項」を記載することができます。
ここに「なぜこのような遺言内容にしたのか」「家族への感謝の気持ち」などを記載することで、相続人の理解を得やすくなり、遺留分侵害額請求を抑制する効果が期待できます。
遺留分を完全に排除する方法はあるのか
結論から言えば、遺留分を完全に排除する方法は極めて限定的です。以下の2つの制度がありますが、いずれも適用のハードルは高いです。
相続廃除
相続廃除とは、被相続人の意思に基づいて、特定の相続人の相続権を失わせる制度です。
ただし、以下のような重大な事由が必要です。
・被相続人に対する虐待
・被相続人に対する重大な侮辱
・推定相続人の著しい非行
家庭裁判所に申立てをして認めてもらう必要があり、実際に認められるのは申立て件数の2割程度と言われています。
相続欠格
相続欠格は、法律で定める重大な事由に該当する場合、法律上当然に相続権が失われる制度です。
・故意に被相続人や他の相続人を死亡させた、または死亡させようとした
・被相続人が殺害されたことを知りながら告発・告訴しなかった
・詐欺や強迫によって遺言を作成・変更・撤回させた
・遺言書を偽造・変造・破棄・隠匿した
これらは刑事罰に相当するような重大な行為であり、一般的な家庭では該当することはほとんどありません。
80代の親を持つ40代が今すぐすべきこと
ここまで、遺留分の仕組みと対策について解説してきました。では、80代の親を持つ40代の子ども世代は、具体的に何をすべきでしょうか。
親の財産状況を把握する
まずは、親の財産がどれくらいあるのか、何があるのかを把握することが重要です。
・不動産(自宅、土地など)
・預貯金
・有価証券
・生命保険
・負債(住宅ローン、借入金など)
親が元気なうちに、さりげなく聞いておくことをお勧めします。
遺言書の有無を確認する
親が既に遺言書を作成しているかどうかも確認しましょう。
もし作成している場合は、どのような内容なのか、遺留分の問題は発生しないか、形式的に有効な遺言書になっているかなどをチェックする必要があります。
家族で話し合いの場を持つ
相続は「争族」になりやすいテーマですが、親が元気なうちに家族で話し合っておくことが最大の予防策です。
「親の想いはどうなのか」
「兄弟姉妹の考えは」
「親の介護をどうするか」
こうしたことを率直に話し合える関係性を築いておくことが大切です。
専門家に相談する
相続は法律、税務、不動産など多岐にわたる専門知識が必要です。
特に以下のような場合は、早めに専門家に相談することをお勧めします。
・相続財産が複雑(不動産が複数ある、同族会社の株式があるなど)
・相続人間の関係が良好でない
・親が再婚していて前妻の子どもがいる
・相続税が発生する可能性がある
・認知症の兆候がある
司法書士、弁護士、税理士など、それぞれの専門分野を持つ専門家と連携しながら、総合的な相続対策を立てることが重要です。
まとめ
全財産を1人に相続させる遺言書は作成可能ですが、遺留分という制度があるため、他の相続人から金銭請求を受ける可能性があります。
特に相続財産の大半が不動産である場合、遺留分の支払いが困難になり、結果として住み慣れた自宅を手放さざるを得ない状況に陥ることもあります。
こうした事態を防ぐためには、生前に家族でしっかり話し合い、生命保険や生前贈与などの対策を講じておくことが大切です。
80代の親を持つ40代の皆さんは、まさに今が相続対策の適齢期です。親の判断能力がしっかりしているうちに、家族で話し合い、必要に応じて専門家のサポートを受けながら、準備を進めていきましょう。
「争族」ではなく、円満な「相続」を実現するために。今日から一歩を踏み出してみませんか。
参考記事:https://news.yahoo.co.jp/articles/d899d9b29f35e67a445258d5dea7de0908be4fb1